ウィシュマ「スリランカに帰国したい」 支援者「日本で生活したいなら支援するので仮放免申請等を」
(略)「一日も早くスリランカに帰国したいです」
収容当初の彼女は入管にこう語っていた。入管も早期送還で動いた。新型コロナウイルスの影響でスリランカ行きの定期便は就航していなかった。臨時運行便への搭乗を検討し、スリランカ大使館とも連絡を取り搭乗希望者リストに登載はしたが、代金をどう工面するかが壁になった。大使館に彼女の家族の連絡先の確認を依頼したが「判明しなかった」。交際男性からは「私が仮放免された後、彼女の母親に三回電話し、『彼女を助けてほしい』と伝え、自分の連絡先を彼女の妹たちに伝えるように頼んだが、母親には断られ、妹たちからの連絡もなかった」。そこで国費での送還も検討された。
そうしたなか、令和二年十二月九日、彼女は入管を訪れた日本人支援者Aらと初面会する。初対面で彼女は支援者らに「交際男性から暴力を受け、殺すと書かれた手紙が届いた」と語った。「スリランカに帰国したいが、家族との連絡が途絶え、帰国したら寺へ行きたいと考えている」とも述べた。
十二月十六日。二回目の支援者Aらとの面会時である。彼女が「日本は良い国で好きになった。本当は日本で生活したいけど、頼る人もなく、仕方がないからスリランカに帰ります」というと、支援者の一人が「日本で生活したいなら支援するので仮放免申請等を行ってはどうか」。彼女は帰国を考え直すと答えた。
二日後の十八日の面会時、彼女は「帰国しようと考えていましたが、助けてくれる人が見つかったので日本に住めるように頑張ります」と表明した。支援者Bが「今の体調はどうですか。仮放免申請するから、私の家に住んでね。これからいい人生を送ることができますよ。病院の先生に診てもらいましょうね。入管からも病院に連れて行ってほしいので今からアピールしてくるね。頑張ろうね」と述べ、彼女は「ありがとうございます」と述べた。
これが彼女の転機となった。彼女は支援者らの手を借り、令和三年一月四日、仮放免を申請した。帰国の意思は撤回され、送還の動きは止まった。
当時の入管が神経を尖らせていたであろう重要な背景事情があった。それは収容所内での「拒食」である。体調を崩して、病院に入院すれば仮放免が許可され、収容施設から出られるかもしれない。
(略)
https://www.sankei.com/article/20230712-U7LJOJFH5BG6TP3FCKUETBXY64/
帰りてえって言ってんだから返してやれよ
拉致だろ
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Source: ラビット速報