なぜ80年代の人々は、ゲームの粗いドット絵に熱狂できたのか?
1 :極ゲー名無しさん:2018/11/26(月) 14:16:33.64 ID:nyt+BWYn0 PLT(15000)
なぜ80年代の人々は、ゲームの粗いドット絵に熱狂できたのか?
AIの究極課題を解くカギがあった!
「テレビゲーム」と呼ばれていた1980年代のビデオゲーム。
粗いドットで描かれた世界に、なぜ多くの人々が熱狂したのだろうか。
立命館大学の吉田寛教授は、当時のビデオゲームのもたらした「感覚変容」が、
今日のコンピュータ社会の基盤となった、と指摘。
あのころの稚拙な技術にこそ意味があったと語ってくれた。
(立命館大学研究活動報「RADIANT」より転載)
■ゲームのプレイとは知覚の「二重化」だ
ロボットはどこまで、人間と同じように世界を知覚し、思考し、行動することができるのか。
「そうした人工知能(AI)技術にとって究極的な課題を解くヒントが、身近な娯楽であるビデオゲームのなかにあるかもしれない」
と斬新な視点を投げかけるのは吉田寛。
「1980年代に登場し、またたく間に世界中に浸透したビデオゲームが人々に引き起こした知覚や感覚の変容が、
現代のコンピュータ社会の基盤となっているのではないか」と語る吉田は、「感性学」という視座から、AI技術の進展に新たな光を当てる。
吉田によると、「感性学」とは人間の感覚や知覚の働きを分析する学問分野である。
英語の「エステティックス」はこれまで日本語で「美学」と訳され、主に芸術や美を研究対象としてきた。
しかし吉田は本来の意味である「あらゆる種類の知覚を主題とする学」として感性学を再定義し、
「その研究対象に最もふさわしいものの一つ」としてビデオゲームを研究している。
感覚的で直感的な思考や判断のロジックを解明する感性学と、プレイヤーの知覚や認知、思考や判断、
行為を通じたインタラクション(相互作用)を解明するゲーム研究とは、重なるところが多いという。
「感性学の観点に立つと、ビデオゲームをプレイする経験は、知覚の『二重化』として定義できる」と語る吉田はこう説明する。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58435
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58435?page=2
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Source: 究極ゲームまとめ